LGBTであることの何がつらいのだろう?<職場や学校・他者の視線>

「T=トランスジェンダー」の悩み

トランスジェンダーの知人は、職場での「視線」がつらいと言っていました。以前勤めていた会社とは違い、決して差別的な言葉が浴びせられることはないものの、上司や同僚からの「ケガ人に対する哀れみ」のような扱いが、その人を苦しめるそうです。

街中では、やはり”奇怪な目”で見られることもあるので、常にマスクを着用し、また体形を隠すため、厚手の服装をし、また、親戚が集まる年末年始では、自分がトランスであることを隠すために、性別を否定するようにメイクや髪型も変えるといいます。

トランスジェンダーを自覚するということは、「自己の性別の否定」や「別の性別の肯定」をひとつの要素として持っていると私は理解しています。他者の視線の中に含まれている性別への認識と、自己の性別への認識がチグハグであることも、前提としてあるでしょう。

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「LGB=レズ・ゲイ・バイセクシャル」の悩み

レズ・ゲイ・バイセクシャルとは、「性的志向=セクシャリティ」つまり、どのような相手に対して”好き”と感じるか」の便宜的な区分のことですが、これらの性的志向を持つ人は、社会においてどのようなことを悩んでいるのでしょうか。


「彼女はいるの?」という質問の攻撃

例えば職場では、いわゆる「飲み会」で、「彼女はいるの~?」「芸能人だと誰がタイプなの~?」みたいな質問をしてくるような上司、本当に面倒だと思います(そもそもプライベートなので、性的志向は以前の問題ですけど)。その質問に対して、「彼"女"」と決められている時点でつらいのです。ここで「いや、彼氏ならいますけど」と言った場合に、それは"カミングアウト"となります。"カミングアウト"というのは、"あたりまえの世界"に対して反抗することです。さて、明日から仕事はどうなるでしょうか?


セクシャルマイノリティの「噂」は職場の関係を壊す

「〇〇課の〇〇さん、ゲイなんだって」という噂は、簡単に仕事の能力への偏見に繋がります。また、上司が同性であり、セクシャルマイノリティに理解がない方である場合、自分が好かれる側の当事者になると「勘違い」してしまい、それから、仕事関係がうまくいかなくなったという話も聞きます。

また会社によっては結婚祝い金制度を設けているところがあるでしょうが、いったいどれだけの会社が、パートナーシップ宣言を重要視し、祝い金制度を拡張しているのでしょうか?


学校におけるカミングアウトのタブー視

私は、男子校出身ですが、一定数、ゲイである人がいるのは事実でした。しかしながら、この場でカミングアウトしても、友情の一部、あるいは、プラトン的な愛(プラトニックラブ)として見られることもあり、特段差別の対象になることはありませんでした。「キモい!」という発言も、相手を排除するためのものではなかったのではないかな、と振り返ります。また、男子校は、"彼女"がいるということ自体が、ゆるく敵対視される一因ともなっていたことも、関係があるのかもしれません。

「アセクシャル」である私は、周りに話を合わせていたし、また、年齢とともに変わっていくのかなと思っていましたので、苦痛とまではありませんでしたが、「誰々がかわいい」とかの話は、ぜんぜん楽しめなかった記憶があります。

共学の場合は、どうなのでしょうか。私の通っていた中学校では、同性が好きと噂されている人がいました。異性からも「キモい!」と言われていた"彼"は、ひたすら「自分は男なんて好きじゃない」と否定していました。

いったい「同性愛は異常」という主義は、どこからやってくるのでしょうか?テレビ・マンガなどの媒体からでしょうか?それとも、両親が男女ペアという生まれたときからの"あたりまえ"からでしょうか?


世界を男女の二つの区切りで見ている

私たちは普段、男女の二つの区切りで世界を認識しています。トイレには、色のついたピクトグラムで、赤い"女性"と青い"男性"の標識がまだ多くの施設にあります。また、その形も、女性はスカート、男性はズボンの場合がほとんど。指定制服が男女スラックスの学校が増えましたが、"男性"がスカートを指定できる学校は聞いたことがありません(台湾などは導入している高校もあるみたいですね)。履歴書や様々な申込みだって、男・女のいずれかに丸を付けています(ちなみにアメリカの一部州では、履歴書の性別の欄を設けることは「違法」だと聞いたことがあります)。


目を閉じて気持ちを呼吸に集中させたときに、自分が「男」か「女」か即答できないのではないかと、いつも感じます。繰り返しになりますが、いかに、視覚的優位な社会に住んでいるのだろうかと気付かされます。

いま私は、社会心理学や哲学の本を読んで、何かこの苦しさを解消できるヒントを得ようと必死になっています。どうしたら、セクシャルマイノリティの方(アセクシャルである私も含めて)が住みやすい場所を獲得できるか、それを考えて行動に繋げていくことが、私のライフワークになりそうです。

S.Okajima


参考:セクシャリティとジェンダー

ちなみに、トランスの方がどのような人を好きになるかについて、他者からみれば、身体的に男性の方が精神的には女性を自認しており、性的志向が、身体的に男性(かつ精神的にも男性を自認)の方に向く場合、そのトランスの人は「ゲイ」であると見られてしまうでしょう(セクシャリティとジェンダーとが重なって複雑ですか?ここで私が言いたいのは、この社会は、いかに五感の中でも視覚を重視しているか、ということと、セクシャリティとジェンダーの組み合わせは自由ということです)。